セリー・ノワール

______________________________

CD-ROM「セリー・ノワール」は「DOW JO」「ESSAIS 1960-1996」「The Object ...」3つのシーケンスでできている。

「DOW JO」は2002年の初めにパリの株式取引所の近くで行なわれるはずだったエキシビションのテーマに発触されたものだ。テーマは9・11、目の前に現れた視覚的−何か堅いものが崩れて、解けてしまった−出来事。

dow jo

テレビではマンハッタンのブロードウェイの電光ネオンが、9・11の何日か後の株式の再開を映し出していた。人々は数字や名前が、かつての様に左から右に走るネオンに拍手していた。ダウジョーンズ、ナスダック、ニッケイ…の数字に投げかえけられるエモーション、パッション、この熱狂に疑問を抱き、その原動力の由縁を知ることができるだろうという直感で、私自身数字の名前の波の直中に潜水することにした。

塔は不動の象徴だった。世界一の商業の殿堂だった。その塔が無くなった。情報は次々に告知される犠牲者数やxx社は全滅した…などのニュース、株式の-4%とかの数字だった。 アメリカの有名な株コンサルトが言う、BUY THE RUMOR, SELL THE FACT

噂は広まることで情報として機能する。そこには信憑性はあまり重要ではなく、恐らく広まるということで価値を得る−体系化される、規準の全く乱れた噂…それこそが原動力だ。
広がる、膨らむ、増える…このようにしてモニュメントは築かれていたはずだ。モニュメントは噂と噂をトレードし、仮想価値を夢の実現という幻想に昇華して刺激を加える。この刺激によって、条件づけられた生活を我々は日々送っている。しかし、このモニュメントはいったい誰が造っているのだろう?

水というそれ一つ一つでは小さな分子が波という動きを生み、波は僅かな地層のズレによって押され、大きな津波となって襲ってくるように、因果関係をたどれば分子的な動きの寄せ集まりや結合の結果の大きな動きなのだ。すべて我々のアクティヴィティ:原料の加工、生産、活動、消費…に関係している噂または事実から数字が生まれる。消費者または小株主、大株主である我々が、その数字の中におり、左から右に走る光りになっている−利益として進歩として発展として夢の実現として、そして幸福としての我々。

9・11より3ケ月間、限られた範囲内ではあるけれども、出来事と数字を観察し、その相互間には因果関係があり、個々の相互依存、我々とモニュメントの相互関係、現象の縁起の一部表面を読み取ることができた。そしてそれらの現象は非恒久的に変わってゆくにも関わらず、固定化価値化しようとすることで、物事そのものとのズレやダブリが生じる。そういうズレが空間や時間という概念をつくる。
我々がズレを常に感じさせられているこの現象を意識することなく、たとえ「本物というイメージ」を「本当につくる」としても、うるう年のように技術的に調整できない他の「ズレ」の問題は解決できない。それがおそらく現象が繰り返される理由だろう。
「セリー・ノワール」の3つのシーケンスがすべてループ(リピート)式になっているのはそれ故である。

エッセイ 1960-1996

「ESSAIS 1960-1996」は、フランスが行なった1960-1996の核実験の日にちと場所の名前を中心に、そこに至るまでの主な貢献者をあげた。


「The Object ...」は、一部の発表されている世界のクローン実験によって産まれた生き物またはその物体の誕生日と彼らの名前を中心にし、1865年に偶然発見されたメンデルの法則から始まる。これは研究者自身より発せられた"ホラーギャラリー"に及ぶ科学の成功の影に潜む犠牲(者)に至る原因としてのメンデルを示唆しているのではなく、世の中は相互依存、相互関係、相互干渉で成り立っているということだ。
Object(モノ、対象)達は、我々のへ消費を最終目標に産まれてくるのだ。

マーシャル・マクルーハンは、機械技術は人間の物理的な身体の外部へ向かっての拡張であるとし「西欧世界は、3000年にわたり、機械化し細分化する技術を用いて「外爆発」explosionを生んできたが、それを終えた今「内爆発」implosionを起こしている。機械の時代に、我々はその身体を空間に拡張していた。現在一世紀以上にわたる電気技術時代を経た後、我々はその中枢神経組織自体でさえも地球全体に網のように投げ打ってしまった、少なくともわが地球では、このようにして空間も時間もなくしてしまった」。
「中枢神経組織自体の脳(意識)が地球規模に拡大した結果、相対的に地球は一つの小さな球に縮小した 」ことをグローバル・ヴィレッジと称し、印刷機という技術が作り上げた「読書界(パブリック)」「大衆」「国家」という世界の階層秩序を転倒し、アンバランスな状況を生み出す要因−としてメディア・テクノロジーを危惧した。反対に、本当に階層秩序が解体したとき、対象を敵とみなしたり競争する相手という観念や独裁的活動が今までと同じ価値を保持していられるだろうか?メディア・テクノロジーは、オルターネイティヴや多様性、遍在性を可能にもするし、インターネットなどを見れば「一体化しようとする "集中" を回避する」たくさんのコミュニケーション手段の、小さな中心を持った - または持たない - コミュニティーを目的とする道だともいえる。

「テクノロジーはある特定の占有から逃れ去る、越境的かつ中立的性質を持っている。一見するとこれは超国家的な平和的態度ともとれるが、同時にその存在自体が兵器商人的であることに注意しなければならない」 "mechano" 杉田敦
テクノロジーに創造された人間環境は、拡張だからこそ速度が早いし力が大きい。外爆発の結果内爆発を起こしそのダイナミズムはまた繰り返される。今、内(自)にも外(他)にも犠牲を出してはいけない。それが共存につづく道なのだから。



創造、保存、破壊…という不変のプロセスを倣う歴史に我々は覆われていることを理解し、日常のズレを見つめてゆくことが、日々の家庭生活から生起した出来事からなる「芸術−アート」の具体的な役割なのかもしれない。なにしろ塔をつくらないことから始めなければいけない。

このプロジェクトは、物質的精神的価値を固定する「トレード」というエコノミーシステムから外れたところに意図的に位置する。その理由で、このプロダクトには ©、®、、トレードがない。フリーコピーで、著作権がない。CD-ROMはタダ(フリー・自由)で配られている。