オレンジの話

何度もいろいろな所で繰り返すべきアクション by An Onymous
images & texts のエッセイ
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action 1

オレンジを2つに切る / オレンジをしぼる / ジュースを人々にあげる

action 2

来た人は言葉や文章を自由に書く / 直接壁に、または紙に書き壁に貼る / しばらくして、それを消し去る(取り除く)

action 3

来た人は壁に文章を書く / またオレンジをしぼり、ジュースをあげ、消す

● 一杯のオレンジジュースにオレンジ2個
● 皮を床に置き、そのまま置いておく

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★必要なもの
- オレンジ100-200個(1日)
- オレンジ絞り器
- 紙、マジックなどの書くもの、記録するためのPC(なくてもよい)

計¥5000(150人分~)

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《なぜオレンジ?》

パリのメトログラフィティを消すために、 色々な製品を試したのだそうです.そして最終的に残ったのは、オレンジの果 汁だったのです.結局、オレンジジュースが、車両に描かれた文字や言葉、イメージ(像)を消すのに効果 があったそうです.


《現象の相互依存》

すべての私達の環境は、すでに相互依存している結果として知覚されたものす。その感覚や知覚が突然あらわれ、独立して存在しているわけではありません。
それは物事の因果関係と同じように条件付けられています。個は1つづつ存在しているけれど依存し合っているのです。

[作品]という表現されたものの因果関係をもし探ってみるなら、独創性は全くあやしいものになってしまう。著作物は、他の人のつくった言葉やイメージに多大に影響され、時にはそれを全く使用するということをベースとして成りたっており、何が[作品]かという決定は著作権法をもってしてもidea(内心)とexpression(外部) のdechotomy境界線を引くのは難しいそうです。
表現は抽象化するとアイデアに近づいてゆくのです。そしてアイデアは著作物としては保護されません。

エスプリのエッセンスを捕らえ、伝達するメディアがアートと呼ばれるものです。 相続される物はその概念や無体のエスプリであって、有体物そのものではありません。
オレンジが新しい独創的な発明作品だとは言えませんが、ここにいる人がオレンジジュースを飲んで作品をつくったり、見たり、感じたりする結果 は、[オレンジ]と何も関係していないとは決していえません。匂い、味、色のあるジュースは行動や思考の一部に影響しているからです。

私はこのアクションで、ここにやって来た人の中でオレンジを飲んだ人、匂いを嗅いだ人、色や形を見た人の作った作品に参加したといいます。私はオレンジをしぼるという繰り返される行為や人々に配るという[仕事を提供]します。

私はこの[仕事]を[作品]だとは思いませんが、アートと呼ばれる[作品]も[著作者]も、現象の相互依存という原則からは逃れられず、いつもドメスティックな事象から生まれるということを[表現]しているのです。