縮小経済 & ハーフビルド & DIYの話 文・その他 ポーよし川真実            


田舎探し、ハーフビルド

     我々はどこへ行くのか?
     自然に・自然を ・自然と
     家をみつける。 タイミング、
                フィーリング & チャンス
     国ノ色、故郷の 色



田舎探し、ハーフビルド

    ここでいいと思 えばここでいいのだ
    吾唯足ルヲ知ラ ナイのだから
    アドベンチャー  ハーフビルド
    実は家づくりは 楽しくない
    建築確認という 門出
    基礎工事、もう 後戻りできない
    山に響く音




    汚水処理装置


自然に・自然を・自然と







理想の新居・新居地探しが想像より難航したので、田舎に仮の住まいを知り合いの伝手で決めた。東京からでは「田舎暮らし」探しは遠過ぎる。パリからの縁で知り合った田舎住まいの方に助けてもらい、平成の大合併で市になったばかりの元村の中山間地の”住宅”と呼ばれる市営団地への入居が決まった。団地といっても庭が田畑につづく一軒家が13棟並ぶ、ほとんどが子持ちの家族だった。


「引越しの挨拶ってどうするの?」と母親にたずねると「隣3軒にちょっとした菓子折りを持って挨拶すればいいんじゃないの」というかなりテキトウなアドバイスを真に受けて、小さな菓子箱を10ほど買った。帰国して一ヶ月も経っておらず、日本語ですべての会話が出来ること、しかし地方の方言などが理解できたりできなかったりする少し不便故の異国情緒を若干楽しんでいた。団地は我が家を抜かせば12棟。菓子折りの数から自ずと挨拶に行かない家が出た。悪びれる風もなく、むしろこの時点では気づかなかったが、後に「団地」という1つのユニットがあり、集落→地区→旧村→市という単位に膨らんでいくシステムを理解し、端々まで挨拶をせずに済ませた事を後悔した。
地区の区長さんは親切に私たちの世話をしてくれた。夫が外国人の変なカップルということで興味もあっただろうし、若い力・新メンバーは地区にとって貴重であるように感じた。そして機会があれば地区の人や空き家を紹介してくれた。

市議会議員への地区の立候補者の講演会もどきがコミュニティーセンターであった翌日、玄関前に警官が立っていた。名前を聞いても名乗らないので、ニセ警官かと疑った…振りをしてみた。昨日のセンターでの会合で誰かが「地区に新しく入って来たストレンジャー」のことを通報、いや、たまたま立ち話でもしたのだろう、と想像した。
この警官にどんな権利があるのかわからないが、ちょっとしたアンケート用紙に記入することを勧められ、素直に従う。この地域で空いている民家を探している、夫は文筆家、私は絵も描く… と答えると、急に警官の緊張が解け、たくさんの情報をくれた。ただ、詳細や個人名などは一切教えてくれなかった。「ここらへん」とか「空き家あるにはあるよ」と妙な答えぶりだった。地図をちらっと見せてはすぐに引っ込めたりした。
何日か後、同一人物が私服でやってきてもう少し詳しい情報をくれた。今の誰?と聞いた夫は、警官であることがわかると「もし武器(銃やこん棒)を持っていたら絶対家に入れるな!」と牙を剥いた。

この地区の空き家は、ほぼ全部把握した。「バアさんが亡くなれば、あそこ空くんだけど」という言葉を幾度も聞いたが、それはそれでなんと答えたらよいものか、どのような心持ちでその家が空くのを待てばよいのかよくわからなかったので、その可能性はないものとして候補からはずした。いよいよ情報は尽きたようだ。
1ヶ月、2ヶ月、と時間が経っていった。積極的に動かなければこれ以上の空き家情報は入って来ない。そうこうしているうちに、巷では「田舎暮らし」が急速に商業化される兆しが見えてきた。情報量は増えるが、ライバルも増え、値段も上がってしまうが、ここは早めにメディアのお力をお借りして… 私たちが超苦手とする「行政のオーガナイズする田舎移住促進のための団体旅行」などにも参加した。手応えはあったが、役所や商工会議所にとっての”新移住者とは=消費者・納税者”という図式が嫌悪されたし、村の人々は新移住者が来ることが直接彼らの仕事と結びつくことで少々潤うことを期待していることがあからさまに感じられることで、優しそうな村人の笑顔は、我々の目に美しく映らなくなってしまった。

縁があると思われたとある村も、ある日を境に疎遠になった。地理も村の特徴も少々理解し始めたある日、待ち合わせた不動産業者のような田舎暮らし仲介者は非常にうさんくさく、見に行ったいくつかの物件はひどい物だった。同日、情報通だという紹介の土建屋は法外な値段を吹っかけて来た。そして、待ち合わせに向かう途中の高速道路の反対車線での事故を目撃してしまったのだ。丸太のように転がった女性の姿は目に焼き付いて離れなかった。帰りは高速に乗らずに一般道を通ったので5−6時間かかった。もうあそこへは戻りたくなかった。


「退職後は田舎回帰」と声高に田舎暮らしを推進しているグループがたくさん出てきて一種の(一部の)流行になってしまった。こうして団塊の世代は再び商業市場戦線から逃れることが出来なくなった。かわいそうな世代。
「自然に帰れ」などと銘打って、その講演・実演コースの参加費は一泊3万円もするものもあった。「自然に・自然を・自然と」生きるって一体どういうことなんだろう?

我々もまた、その商業モードに巻き込まれざるを得ないのだろうか。私たちには都会の家を売って第二の人生に元金をつぎ込むような技はないし、何千万円も家にかけることはしたくなかったし、到底できなかった。”団塊”をターゲットにした「田舎暮らし」関連商品に手を出すことは不可能であり、この風潮は大変迷惑であった。かつてフランスからインターネットで見つけた500万円の空き家は1000万円になっていた。「可能性が狭まっていく…」そんな気がして静かに焦った。


焦りながらも「田舎暮らし」らしいこともやってみた。
切り干し大根、天然酵母、ドライフルーツ、自家製パンなどなど。
雑誌を見てやってみる、今が一番楽しい時期。
そして失敗したり壁にぶち当たる。それは雑誌に載っていないこと。




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〈3〉家をみつける。タイミング、フィーリング & チャンス