縮小経済 & ハーフビルド & DIYの話 文・その 他 ポーよし川真 実            


田舎探し、ハーフビルド

     我々はどこへ行くのか?
     自然に・自然を ・自然と
     家をみつける。 タイミング、
                フィーリング & チャンス
     国ノ色、故郷の 色



田舎探し、ハーフビルド

    ここでいいと思 えばここでいいのだ
    吾唯足ルヲ知ラ ナイのだから
    アドベンチャー  ハーフビルド
    実は家づくりは 楽しくない
    建築確認という 門出
    基礎工事、もう 後戻りできない
    山に響く音




    汚水処理装置

我々はどこへ行くのか?







一年が過ぎた頃、”遣り方”とも呼ばれる丁張りがやっと始まった。今までかかった時間と道のりを思い返していた。


排気ガス・アスファルト・騒音にもうんざりしていたけれど、なにしろ都会で”縮小経済”を実践・実行する生きかたには限界があった。文字や情報だけでエコロジーや縮小経済を頭の中で想像していることにすでに矛盾があったし、なにし ろそのような受け身な無実行さに飽きていた。実践の機が熟しているのだろうか。

北海道と緯度がほぼ同じのこのヨーロッパの都市には、2003 年の猛暑前まではクーラーはおろか扇風機も無い家がほとんどだったから、温暖化という言葉もこのあたりから広く本気で意 識されることになる。それにしてもあの夏の暑さでは私も死にそうになった。暑さで床に枯れ草のようにペタンと倒れ、水を 補給するとムクムクと身体を起こすことができた。

私のエコ意識といえば、その昔パリ郊外に引っ越したのを機に車の免許を取り、安価で手に入れたフィアット600 に由来する。製造20年以上の車税は免除され、排気ガスの規制 が全くなかった。フィルターは古ストッキングを被せただけだった。一年後再びパリのド真ん中に移り、路上駐車代が馬鹿にならない。車で夜中10分で自宅に到着し、それから20分かけて 近所の路上の駐車場所をくるくる探した。メトロは近くにあったし、コレクションカーのメンテは難しかった。ガレージや修理屋では女は馬鹿にされ足元を見られた。そして特に排気ガスの垂れ流しが気になり出した。「無駄なことしてる」それがプ チ・エコ意識が芽生えるきっかけとなった。「公害をなくすのは他者批判じゃない。自分がアクションを起こさなくては…」と、大決心も葛藤もドラマチックな感情もなく、車を売った。

「どこでどうやって暮らそう」「生きて行くってなんだろう」顔が赤らむような、青春期のめざめにも似た混迷の心地よさ、仏語で俗に言うところの「二つの椅子にまたがった尻」のようにどっち付かずで、何とは無しに外国で暮らして10年 経っていた頃だ。無意識に生きてきたことへの反省や後悔と焦 りがぐちゃぐちゃに入り交じった時期があった。
「たくさん稼がないけど使わない」「使う分だけ稼ぐ」という生き方をすでに決断していて、その実践は始まっていた。少々収入が少なくなっても生きて行けると言い聞かせる。


フランスでは強者のためのユーロというお金が導入され、物価が上がった。不動産はその代表で、都会のアパートは2倍程に値が跳ね上がることもあった。地方の山地や草原に移住することも考えたが、面積はダダっ広いが値段は「物価上昇 +便乗」が影響して思っていたよりかなり高くなってしまった 。強者たちは地方の村の美しい廃墟を買い別荘にした。「思い付いたのが遅過ぎた…か…」
南のバスク地方に縁のある私と、Rh-が示すようにバスクの血を持つ夫は、フランスよりは物価が安いだろう隣国スペインや北のお隣さんベルギーへの移住も考えた。何かが違う …。ズレている。ここではない…と直感的に感じた。
インターネットや人の噂や情報収集の結果「年間10万円の家賃で日本で暮らす」という1つの答えが出た。このチャンスに辿り会える保証はないが、未知のことだからこそ期待多 く希望の光が溢れた。
「決裂状態だった日本へ、大人に成長した私が帰る」「日本で日本語で思考活動するズレのない私になれる」「情報処理も心で考える事も表現も日本語だから楽になる」と自動的に思え、肩の荷が下りたような気がした。これは大変な誤算で あったことが後にわかる。
「そこにはないものを求めてここへやって来た」わたしが今、「ここにないものを求めてそこへ行こう」としているのだろうか。いや違う。今こそ「私がいるところに求めるものがあるココ」へ移動するのだ。はたして移動が必要なのか…  迷った。

日本の人、日本の風景が美しく思えきた。あんなに嫌悪していたものが…。今度こそズレのない自分になれるのか。
後々、この移住の話が具体的に進んでいった時、”外国人の夫”の「ズレ」を思いやらねばならないだろうし、現実問題を一つ一つ片付けねばならなかった。紙の国フランス(公的証明書、契約書などすべて表記し紙に記録を残す文化)で10 年間毎年警察での手厳しい滞在許可書の更新に慣れていたので 、日本の行政の手続きなどは、全てスムーズに行った。日本人の私が居住の目的や日本滞在の動機の手紙を母国語で文章作成するなどは朝メシ前であったし、身寄りのない学生の身分で渡仏した私と、配偶者として日本へ入国手続きできる”夫”は遥かにちがった。
目的は「田舎暮らし」だけれども、退職後の悠々自適な暮らしでも世捨て人でもサラリーマンでもない。縮小経済を実践できる一般社会に紛れ込んだ目立たない行者のような生活が良い。「自給自足」などは目指さない、というよりも、過去に、それを強いられた状況以外で常に自足自給の生活を営んでいた人たちは少ないに違いない。「百姓」は相当の昔から存在したはずだ。その方が効率 は良いと思われる。

こうして決心は沸点に達した。荷造り、引越し、新居探し… と、家族と知り合いの多大なる応援を得て「田舎暮らし」が徐々に凝固し結晶化していった。


1961年製FIAT 600、前方開ドアで危ない。路上駐車時に前後車 にグイグイ押され、
鼻がかなりヘコんでしまった。信号待ちで毎度毎度 ナンパされた人気車だった。




こんな絵もあんな絵もあった文化の街。








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