縮小経済 & ハーフビルド & DIYの話 文・その他 ポーよし川真実            


田舎探し、ハーフビルド

     我々はどこへ行くのか?
     自然に・自然を ・自然と
     家をみつける。 タイミング、
                フィーリング & チャンス
     国ノ色、故郷の 色



田舎探し、ハーフビルド

    ここでいいと思 えばここでいいのだ
    吾唯足ルヲ知ラ ナイのだから
    アドベンチャー  ハーフビルド
    実は家づくりは 楽しくない
    建築確認という 門出
    基礎工事、もう 後戻りできない
    山に響く音




    汚水処理装置


家をみつける。
タイミング、フィーリング & チャンス







親戚からもらった中古車で、関東周辺の田舎を探しはじめた。田舎暮らしといえば信州。山梨、長野、福島にも足を運んだが、ピンと来なかった。


年間10万円の貸家は存在したが、簡単そうで難しかった。古民家は、修理が200万円は裕にかかるだろう物件ばかりだ。畑はどこでも貸してくれそうであったが、家のすべてが土地が広く南向きだとも限らない。
「広く余っている土地があるのに、なぜこんな陰の傾斜部分に家を建てたんでしょうね?」
「戦争から戻ってきた長男は、広い土地をもらって家も継いだけど、次男、三男はそうそう土地を分けてもらえなかったから、結局開拓したわけ。南に家が向いていないのは、昔離れや倉庫だったところを改装したりしたからだと思うよ。」地元の退職間近の友人の答えに納得した。
「一軒空いているところあるんだけど、すごい山奥だけど」ということで、隣家のない峠の斜面のその空き家まで30分ほど車を飛ばした。場所の由縁を聞くと、父無し児を身籠ってしまった伯母さんを、未だ嫁を娶ることのできない伯父さんに嫁がせた。世間体が悪いので山奥に隠れ住むように親族で資材を山まで運んで家を建ててやった、ということ。本当にひっそりと木々に隠れるようなたたずまいだった。大変不便であること、なにか場所の持つ悲しさ寂しさを理由にこの空き家を断った。

今思えばOKしなくてよかった物件が何軒もある。原発や工場団地の近くは明らかに避けることができたが、そのころまだ意識をしていなかった高圧電線の鉄塔や携帯電話アンテナ基地局が近くにある物件やシックハウスの中古の家、近い将来高速道路が目の前を通る、産廃工場が裏にある、大家が真隣にいるなど、今思えば、無意識にこれらを察知していたのかもしれない。反対に、気に入った家は「相続のことがはっきりしていない」とか「行く行くは誰かが住もうと思っているので」などの理由で断られた。いわく付き物件はすぐにわかった。どうせ後日バレることなので誰も隠さなかった。殺人、自殺、夜逃げ… 「死者の出ていない家はない」という釈尊の言葉も浮かんだが、物件自体があまり気に入る物ではなかった。
夫と私の物件に対するイメージは暗黙のうちに固まっていたようで、その辺のフィーリングが違わなかったことは幸いだった。どんなスゴい物件でも住めば都だろうしボロ家は直せば良いだろう。自分たちの色に築き上げて行くのが醍醐味でもあろうが、家だけでなく、周辺の環境、土地の感じ… 言葉では言い表せない「感覚的」にNGなものが多かった。

たくさんの人を巻き込んで家探しをしているうちにだんだん疲れてきた。遠く県外では泊まりながら何日も旅を続けた。安い宿探し、食事の調達…楽しいことばかりではない。情報不足の役所、親切に一日かけて市内をまわってくれたUターン・Iターン係のある役所もあった。ぞろぞろと10人近くも役人や不動産関係者らしき人がやってきた物件は、それこそ博物館にした方が良いような囲炉裏が3つもあるりっぱな古民家だった。その喧噪振りから、この物件が究極であることを察した。昔は小さな沢ぞいで、馬車が行き来できる風情だっただろう縁側の鼻先を通る山道は、今ではトラックも通れるアスファルトの舗装道である。「ほら、お望みのこんなに立派な古民家でございますよ」と言われても、車の騒音で目が覚め、隣村への抜け道であるが故に引戸を開ければ10分置きに車が走り(往来があるといってもこの程度ではあるが)、家の中もばっちり見られてしまうような毎日を過ごすことは幸せだろうか。賃借を丁寧に断り、それ以来その町とも疎遠になった。


粘りが足りない、飽きっぽい、頑張っていない、必死さがない… のかもしれない。都会生まれの都会育ちで所詮ひもじい思いもしたことのない自分、ブルジョワな田舎暮らしを夢見ている私… はたしてそうなのだろうか。先日断った古民家のことを考えると、1つの答えが出た。「素敵な民家に住むことが目的ではないのだ」当たり前のようだが、電気も水道もコンピュータもない時代に則して造られた生活の自然である古い民家で、現代に生きる私たちが何をするのだろう。何がしたいのだろう。生活が家の形態に左右されるのは不都合だったし、家は”人生の結果”ではなく”手段・道具”であるという意識があったので、雑誌に見る美しく整った改修された民家が自分たちのメジャーに合うかどうかを、それぞれの中古家屋との出会いで測っていた。
ということは、今まで私たちサイズの家が見つかっていないということだ。「家探しは縁だから」と何度も聞いた。縁もチャンスもまだない。日本に来たことは正しかったのだろうか…。

田舎へ移住した都会組の人たちにもたくさん会った。一件目の空き家訪問で決めた人、3年かかった田舎家探しの移動代の方が高くついてしまった人、優しい大家と出会うことができた話、だまされた話、都会人だと足元を見られ膨大な工事代を払わされた話、ぬかりない姑息な村人の話、など、新境地は基本的にはパラダイスだが、後悔や不満は少なくないことが感じ取れた。


2回目の春がやってきて、最初はわからなかった布団干しのタイミングもつかめてきた。湿気の少ないフランスは、洗濯物も部屋に干せば半日で乾くほど乾燥しているので、寝具を干すという行為をすっかり忘れていた。洗濯物のタイミングも、両隣りの奥さんたちに見習って学んだ。
広間から遠くに中くらいの山々も見え、田畑に囲まれた、水洗トイレの”団地”生活はかなり心地よかった。裏山では竹の子、フキ、フキのとう、セリが採れた。はじめて見るコンニャクの花、ドクダミやヨモギの香り、刈草を焼く匂いが家までとどいた。蛙が畳に迷い込み、キジの家族が前の畑を散歩した。ヘビは嫌いなアイテムではなかったし、蜘蛛は羽の虫を捕るので友であった。

なにしろ物産店と道の駅が近くにあり、地域自慢のしいたけは抜群に美味であったし、採れたての低農薬(ほぼ無農薬)野菜は安くて美味しかった。都会のスーパーしか知らない私は、レシピをネットで調べ、毎日食を堪能し、パリの友人たちに自慢した。
田舎暮らし一年生のナイーブで新鮮な驚きと喜びは、”家”が見つからない宙ぶらりんな生活であることを忘れさせた。
夫婦喧嘩がだんだん増えてきた気もしないではなかったが、焦りは草刈りや土いじりが解決してくれた。5月にナスとピーマンを植えてみた。もうちょっとこのまま頑張ってみよう。というより、選択肢はあまりなかった。

 



びわの葉、ヨモギ、ナズナ。乾燥してお茶にして飲む。







キジの家族が家のすぐ前を通る。いつもは遠くにいるのに。
そして決まって地震が起きた…気がする。

三歩下がって、雌と子キジが続く。
雄キジは鳴く時にバサバサと羽を派手に打ち鳴らす。
そうやって猟師に居所がばれてしまう。






「けんもほろろ」ケンもホロロも雉の鳴き声のこと。羽打ちを「ほろうち」(母衣打ち?)というそう。高いところで鳴くので、テリトリーや雌獲得宣言だそうだけれど、ほろうちが激し過ぎて転んだり落ちたりするそうです。キジの観察報告


「けんもほろろ」とは突っ慳貪に頼み事を拒否される意味だけれど、ケーンという鳴き声が冷たく聞こえるかららしい。むしろ苦しそうで可哀相に聞こえるけれど。


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 〈4〉国ノ色、故郷の色