ここでいいと思えばここでいいのだ
空き家探しに遠出するのも億劫になってきた頃、”田舎探しお手伝い”の仲介者からしつこく電話がかかってくるようになった。
しかし、地元の情報は私の方が多いくらで、すでに訪ねた物件に案内されたりすることが続いたので、もう大丈夫だから結構です、と丁寧に断ると、その仲介人は今度は家の周りを車でうろつくようになった。向こうも不可解だったのだろうか、意地でも見つけてやろう、とでも決心したのだろうか。はたまた単純に親切心だろうか。
夫はその仲介人はもちろん、親しみを込めて田舎風に突然縁側に訪ねて来る地元の知り合いも毛嫌いした。
どうにかしなければいけない。このままでは田舎暮らしどころか目的無く余生を送る世捨て人である。
一カ所だけどうしても行きたい場所があった。筑波山の裏あたり。かつて通学時の晴れの朝の車窓からは左前に富士山、右には遠く筑波山が見えて広い平野を意識した。未だ登頂したことはない関東の名山だが、なぜか「筑波のうしろ」「筑波の裏に行かねば」が呪文のように浮流していた。
「Tsukubaというところがあるから、行ってみない? 」とその日は上りの高速道路に乗って土浦近くで下り、筑波山の南〜西を廻って帰宅するコースを計画した。
山中腹の梅林で弁当を取り、しばし木道やあずまやを散歩。そこが東京から70km程だということを知る。ということは車で1時間くらいだ。観光地化された山は、登山を楽しむのでなければ遠くから見る方が良い。梅の季節を外したので、長居する理由も無く、早々どうしても気になる”山の裏”の方へ車を飛ばすことにした。石の産地ゆえに山肌を削る採石場が痛々しい。寺だか社だかのぎりぎりまで掘削が攻めて来ているのが遠くから見えた時「神域とか聖地っていう日本人の感覚って本当にわからないな」と夫の批判が飛んだ。私には、日本の文化を知るからこそ不思議で、”いかにもやりそうなことだ”と納得できる。確かに比叡山裏の荒廃した遊園地や騒音高らかな遊技場、千年を誇る源泉を祀った祠横の温泉ホテルの廃屋、日本一の名山富士山のゴミや麓の基地でドンパチやる精神は、神域・聖地を尊ぶものではない、と思うのは私だけだろか。これが表裏一体ってやつなんだろか、二元論的な善悪の境の無い超悟りの具現なのだろか。
しばらく走ると帰路の北へ抜ける峠にさしかかるちょっと手前、急に小道を行きたくなった。空き家など探す時は、大きな国道や県道をビュンビュン走っていては見つからない。集落の小道に迷い込め!というテクニックは承知していたので、感じの良さそうな道を選んで主幹線道を外れてみる。
高さ4-500m級の山々を背に、里山という形容がぴったりの静かで穏やかな集落の民家がポツポツ建っているところへ迷い込んだ。かなり気に入りの雰囲気である。今日は車から降りずにまずはクルクル集落を回ってみることにして、後日、周辺を足で歩いてみた。
さらに何日かした晴れの日、まずは地域の役所に行って、空き家情報を聞き込み、早速現地を訪ねる。道路沿いの一番タチの悪そうな時代に建設されただろう中古物件があった。がっかりするのにも慣れてしまって「しょうがない。はい、次、次ィ〜」という具合で次の行動に移る。隣の畑に人影が見えたので、この空き家について少々アンケートをとるが、「絵を描く人なのォ?それではあそこの人が画家だから、行ってみれば?」という具合に指差した先のお家に移動する。
思えば、出会う人ほとんど皆が親切であった。外国人男性となんだか都会臭い女性が”田舎暮らし”したい、というギャップと、我々の無知さに哀れみ同情してくれているのかは分からないが、大概お茶や菓子まで出してくれてこちらの話を聞いてくれた。迷惑そうでなければ、用意した希望の物件の条件と我々の紹介文のコピーを渡した。
わりとトントン拍子に人を伝って物件の情報があった。
私はかなりこの地区が気に入ってしまっていて、ここに希望の物件がないのならば、いっそここで土地を借りるか安価で買って、小屋でも建ててしまおうか、と思い始めていた。機が熟していたのか、我慢限界というか、これを縁というのかはわからないが、この土地が私を呼んでいるように思えてしかたがなかった。しかしこのような感情も、なんの裏付けも根拠も無く、感覚的なものに過ぎなかったので、何を基準に判断し決定したら良いのかわからなくなっていた。
少々焦りもあり、4月の畑仕事や5月のゴールデンウィークや○○祭、田植えなどの参加で忙しく、なかなか出会うことの出来ない移住組の充実した生活を羨ましく思った。たくさんの情報はいらない。希望に限りなく近いたった1つの物件が見つかれば良いのである。
しかし、その地区にも地域にも空き家は少ない、という話。東京に近すぎるのだ。場所柄、出会う人出会う人ほとんどが陶芸家だったので経済的な条件は私たちと似ていてすぐに理解を示してくれたが、我々が探しているような条件の空き家は滅多に出ない、ということだった。でも、ここがいい。ここで絶対決めたい。
地図にも載っていない山道を案内の人の4駆の軽トラで登ると、見るからにセルフビルドの木の小屋が木陰から見えてきた。荷台に乗った夫に「見て」と声をかけると、彼も興味深そうに軽トラの上から眺めてみる。驚き、感動、喜びで「うわぁ」と声が溢れた。その小屋の主は4人家族で、かつてビニールハウスに一年間住んでいたという。小屋は決して素晴らしいりっぱなものではないし、造りも少々難がありそうだし、お風呂も外だし冬は寒いだろうし不便きわまりないだろう。でも彼らは住んでいた。「どんな形でも自分がこれで良し!といえる度量があるならば、田舎暮らしは全然可能なんだ。これでいいんだ。」と1つのモデルを見つけた喜びがあった。しかし聞けば彼らは大分ワイルドな人たちらしい。私のようなへなちょこに何ができるというのだろうか、いや、できる、と思えばいいのだ。思ってしまえれば…。 この家族の生き方は、私に大きな勇気を与えた。「ここでいい、と思えば、ここに住める!」
私の中の数々の条件を1から洗い出す作業をしよう。そして前進しよう。