国ノ色、故郷の色
帰国してほぼ直行で降り立ったこの旧村は、平成の大合併で市になったばかりで、5つの村町が合併したので引き続いた市議会議員の数は膨らみ、議会解散運動が起こっていた。「運動家の人をインタビューしたい」社会分析を得意とする夫のたっての願いだったので通訳、翻訳を私が努めた。
旧村には合併計画の直前に建設された真新しいセンターがあり、その中には図書館があった。地域関連の本棚に、この村で中止されたダムの話の本があった。地区の区長さんにその著者のことを訪ねると、元村会議長さんだという。本を読み、夫に口頭でページ毎のレジュメを訳し、さっそくインタビューの約束をした。(1)
(2)
地元の権力者の”ダムを造れば村のために良いだろう”という必要性も理にもかなわぬ無謀な計画が30年以上村人を翻弄し、結局ダムは、知事の逮捕や県の都合で中止。2世代がこのいい加減な妙案の犠牲になった。その苦悩と変遷は特出したエピソードではなく、今も八ツ場ダムなどでは生々しく展開されている現実なのだ。地元の高校卒の元村会議長さんは、歴史家といっても過言ではないくらい博識であった。今ではコンビニと小規模なホームセンターのある村のメイン通りのあたりには当時映画館もあったそうで、革新派だった彼は、仲間と新進演劇などを上演していたらしい。
「田舎は遅れているから」「田舎はレベルが低いから」と村人の口からよく聞いたが、いなかものと呼ばれるジャンルが知性に劣り社会的意識が低いわけではない。時に農協に抵抗し、体制に反抗もする知識も力も充分持っている。それにこの土地はその昔農民一揆が起こり、最終的には水戸に屈するのだが、今まで蔑まされ日影の物語であった一揆の主人公の子孫たちは、市民運動が脚光を浴び重要性が叫ばれる今、それを恥じるどころか自慢でさえあるだろう、と願う。「おらぁ田舎者」は面倒くさい時に使う田舎の人の都合の良い隠れ蓑である。
夫は保守的なものの持つ権威的で高圧的な不平等な姿勢、仕来りや慣習を成り立たせる迷信や、ピラミッド構造の団体を容易に形成しその型の中で精神の自立の可能性をもぎ取ってしまうような組織・システムを嫌った。「しょうがない」に甘んじる保守派、革新派、柔軟を装った一貫性のない(ないように見える)優柔不断やごまかしを許さなかった。
フランスでは白黒はっきりさせるための論議を交わし、思想を表現し合う文化であり、右と左が混じり合うことは批判の対象となる。自己と事象を区別し対象を分析していく技術はリセ(高校)から哲学をしっかり学び、寡黙などは評価されず、食卓においても食べる口でしゃべる神業をなす人たちにとって、敵にも微笑み、人権・人道派の人間と利益追求・搾取目的の人間が杯を酌み交わすような日本人種は、理解不可なのだろう。フランスではそれらはリベラルとか中道派とかアメリカ寄り・CIA繋がりとも同義語になり、極左や人権・人道派の思想家、市民団体、インターネットのオルタナティブサイトなどが槍玉に挙げているが、その急成長はグローバル化と多極推進派によって目覚ましい。
この片田舎で知り合った人たちの中に、非常に保守的な人がいた。最初は知らなかったことなのだが、新右翼団体と関わりがあるようで、知ればなるほど、所々にそれが見て取れた。その保守的な人には大変お世話になったこともあり、無下に誘いを断るわけにもいかないし、田舎暮らし一年生の私には、全ての田舎関係のお誘いは魅力的であった。逐一、夫は私の交流の批判に徹し、とうとう約束をキャンセルさせられることが多くなった。こっそりメールに礼を書いたり言い訳をしたりして送信したが、私も保守的なものは好きではないので、ついには年賀状を出すだけの疎遠な関係になってしまった。しかしそのうち、ある日、きちんとわけを話そうと思う。根底から考え方が違うのだ。一緒に生きることはできないのだから、場を違えて夫々が表だって混じり合う事なく避け合い生きていければいいのかもしれない。
無理な境界線で色分けするのは不可能で、実際は「こちらが立てばあちらが立たぬ」という結果があり、現実は「しょうがない」に無性に近い「それでもあきらめない」人生でしかないのではないだろうか。真理は個人の内にあり、団体社会においては二元的で表裏が曖昧で矛盾があり、真実は1つではないのだから。
夫を交えた他の人との会話の中で、私は言葉をかなり選択して(はしょって)通訳することがある。通訳というのは、なるべく個を消すことなのだけれど、夫婦というのは二人で一つと見られる苦悩がある。これは日本的見方だけれど、夫婦が似た考えを持っているというのは不思議ではないし、考え方の方向が同じでなければ夫婦である意味もなかろう。しかし、さすがに自分が使わない、使いたくない文章や言葉を発するのは精神的苦痛を伴うのだ。徹底して個やプライドを捨ててない、といわれればそれまでだけが、お客様のための通訳とはわけが違うし、聞き手も"夫の言葉は妻の言葉"
と理解するのが当然の流れだろうから。そんな無理解な、いや知っていながら通訳というクッションを使って、かなりはっきり目の前の相手のバッシング(批判)をする夫の言葉をしゃべるのが本当に嫌になってきた。「言いたいことがあるのなら、自分で言って」と突き放した。片言でも自分で言おうとする態度で気持ちは相手に伝わる(こともある)。
コミュニケーションとは言葉の上手さだけでなく、むしろ人間の姿勢、つまり生き方を伝えることだと思う。これで彼が日本語をはじめてくれることを祈る。